コラム:今日も、猫に学ぶ。(3)

サバトラ コラム

 マイペースを貫き通したグレーのサバトラ

我が家にとって初めての猫家族となったサバトラ猫、たま胡(女)。

迎え入れてから6年が経った今でこそ、普通に家の中を歩き回り、普通にご飯を食べて水を飲み、普通にトイレに行って普通に寝床でぐっすり眠る猫となりましたが、思えば我が家に来てからの数ヵ月は、お互いの喜怒哀楽すべての感情が入り乱れる、なかなか苦労の多い毎日でした。

たま胡

譲渡会の空気に呑まれていた私

後に我が家で「たま胡」と名づけられる保護猫と出会ったのは6年前の冬、都内で開催された譲渡会です。

猫の譲渡会へ行くこと自体が初めてだったので、勝手も分からないまま出向くのは良くないと思った私は、保護団体のホームページで当日参加する猫たちの情報を確認し、手順や注意事項もしっかりとチェックした上で臨んだわけです。

会場の扉が開き、私は10数頭の保護猫たちが入っているケージを順番に眺めていきます。

年齢、性別、柄、体型、顔立ち、鳴き声、ケージの中でのたたずまい……

猫って同じように見えて、同じじゃないんだ。
じっくり見ていると1頭1頭、外見も内面もみんな違う。

それぞれここに来るまで、いろんな過去があったのだろうな。

小さな生き物の中にある尊い個性についてしみじみ考えているうちに、この場にいる者にとって最優先項目であるはずの「我が家にはどの子を」という思案が、私からは完全に抜け落ちてしまっておりました。

これまで知らなかった譲渡会の現場、保護猫たちがいる空気にすっかり呑みこまれた私でしたが、一緒に来ていた私の妻は、ある1頭の猫がいるケージの前から、ずっと離れようとしませんでした。

サバトラ

「なんとなくなんだけど、この子がいい」

周りの猫たちの多くが外の様子を興味深く眺めたり、ボランティアさんの差し出すじゃらしに反応して遊んだりする中、ケージのいちばん奥、我々から最も遠い場所で横を向き、ウウーゥゥゥーーという小さな重低音の唸り声を上げているグレーの雌猫がいるケージの前に、私の妻はじっと張り付いていました。

仮につけられていた名前は、毛色のまま「グレー」。

終始ふてくされていた表情に、首に着けられていた明るいピンク色のカラーが、まったくといっていいほど似合っていません。

それでも、妻は言いました。

「この子がいい。なんとなくなんだけど、この子の前を離れたくなかった」

たしかに、人懐っこさを見せるわけでも、愛嬌を振りまくわけでもなく、

他の猫たちとは違って、この譲渡会で唯一「私は今、とても居心地が悪いです」とはっきり意思表示していた猫。

妻はその「らしさ」が気に入ったのだとか。

機嫌の悪さを見せながらも、どこか寂しそうな目をしていたグレー(仮名)に心を奪われたといいます。

グレーの1頭だけを見て「この子以外の猫は考えられない」と思った妻。

会場を1周まわって「猫は個性。みんな違って、みんないい」と思った私。

それぞれまったく違う方向から、2人の意見が一致しました。

いろんな現実があろうとも

グレー(仮名)は、2014年春に生まれたと推定され、生後数ヵ月の時、秋葉原の工事現場で兄弟とともに発見され、ボランティアさんに保護されたといいます。

動物病院でなんとか社会化はできたものの、人間にはまったく慣れることなくマイペースを貫く姿勢は変わらなかったそうで、気安く触らせてくれない警戒心の高さは持ち続けていたのだとか。

社会化を行った獣医師からは「抱っこは無理かもしれませんが、その覚悟で良ければ」と念を押されたほどです。

それでも、もともとのマイペースさで過ごしてくれたらいいとこの時は考えていたので、気にすることなく受け入れを決めたのであります。

玉のようなかわいいウチの子になってほしいという願いを込めて、名前は「たま胡(こ)」となりました。

まずはケージ飼いでじっくり馴らしていきましょうという獣医師からの指示により、我々から少し離れたリビングの端っこで生活をはじめた、たま胡でしたが、環境が変わったこともあって人間に対する警戒心は想像以上のものとなり、ごはんとトイレ掃除でケージを開ける時には必ず「フー、シャー」の威嚇。仕事から帰ってきて「ただいま」と声を掛けただけでも「フー、シャー」の威嚇。

本当に女の子なのか? と思うほどの低い声でした。

ビビって警戒する猫には、構わない。
我慢が要るけれど、ひたすら放置がいちばんの近道だと腹を据え、極力の無関心を続けていくうちに、少しずつ、本当に少しずつ、たま胡の心が開いていくのが分かりました。

いつも半分ぐらい残していたカリカリを全部平らげるようになり、ケージの奥からこちらの様子を見る姿が多くなり、「フー、シャー」の威嚇が、か細い「ニャー」に変わり……

我々ができるのは、たま胡の変化をじっと待つことだけ。

ひたすら耐え忍ぶ毎日にじれったさを覚える時もありましたが、毎日ミリ単位でも、この家に慣れよう、我々人間に近づこうとしている、たま胡なりの努力がしっかり伝わってくることに、我々は心からの喜びを感じるようになったのです。

変わらぬ警戒心も良き個性に

迎え入れから3ヵ月後、獣医師のゴーサインが出てケージを開放したものの、またしばらくはじっと隅っこに隠れる日々。

スイッチが入っている炊飯器の裏とか洗濯機の陰とか、何かと危険な場所に隠れたがる性格だったので、さらなる難儀となった訳ですが、それでも変わらず放置、無関心、「好きにしなさい」の姿勢を続けて、さらに3ヵ月。

ようやく、ようやくたま胡の側から徐々に距離を詰めてくるようになり、

はじめて私の足もとに、自分の体をシュッとこすりながら通り過ぎていった瞬間、めったに泣かない私の目にも、思わず涙が浮かびました。

そこからさらに時は過ぎ、我々がたま胡を普通に撫でることができたのは、家に来て8ヵ月後のこと。

枕もとに来て、ほんの数分だけ添い寝してくれるようになったのは、そこから2年後。

そしてさらに2年後、獣医師から「できない」と言われていた、抱っこができました。
5秒ですが。

いまだに知らない人の前には姿を見せることなく、玄関のチャイムが鳴ると急いで部屋の隅に逃げるなど、警戒心の強さとビビリ具合は相変わらずです。

でも、軽々しく心を許さないぞという気概もまた、この家の最先住猫としてこの上ない喜びと潤いを与えてくれた彼女の良き個性なのかもしれません。

 

松尾 猛之(まつお たけし)

ねこライフ手帳製作委員会委員長。1級愛玩動物飼養管理士。
webライター、ペット用品メーカー勤務などを経て、2019年2月に愛猫のための生涯使用型手帳「ねこライフ手帳 ベーシック」を発売。手帳の普及を通じて、人間が動物との暮らし方を自発的に考えていくペットライフの形を提案している。自宅では個性的な保護猫3頭に振り回される毎日。